2007年11月11日
マンハッタン計画の秘密
進言した人物は誰なのか。
計画はどのように進んだのか調べました。
ナチス・ドイツが先に核兵器保有する事を恐れた亡命ハンガリー系ユダヤ人物理学者レオ・シラード(コロンビア大学研究員)が、1939年同じ亡命ユダヤ人の著名なアインシュタインらの署名を借りてルーズベルト大統領に開発を進言信書を送ったのがアメリカの原爆開発のきっかけとなった。この「進言」では、それが軍事目的のために使用される可能性があることが述べられ、核によって被害を受ける可能性も示唆された。
なお、この署名により、アインシュタインが原爆開発を開始させたと記述する文献もあるが、間違いである。アインシュタインは核エネルギーの兵器応用には関心を持たず、計画自体には関わっていないし、実際に核兵器開発計画がスタートした事実も知らされていなかった。
着手
グローヴスとオッペンハイマー当初はルーズベルトは関心を示さずに検討委員会を設ける程度であったが、1941年にイギリスからユダヤ系科学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの記した核エネルギーの兵器応用のアイディアを伝えられ、核兵器実現の可能性が高まると、1942年6月、ルーズベルトは国家プロジェクトとしての研究着手を決意する。プロジェクトの実施にあたっては、「陸軍マンハッタン工兵管区」と名称が付けられた組織が行うこととなった。 責任者はレズリー・リチャード・グローヴス准将が1942年9月に着任した。
計画
計画に参加する科学者達のリーダーに選ばれたのは物理学者のロバート・オッペンハイマーである。オッペンハイマーの提案で研究所はニューメキシコ州ロス・アラモス (サイト Y、後のロスアラモス国立研究所) に置かれることが1942年11月に決定した。彼を研究所長にニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、ジョン・フォン・ノイマン (爆縮レンズの計算担当)、オットー・フリッシュ、エミリオ・セグレ、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、スタニスワフ・ウラムなど著名な科学者のほか、リチャード・ファインマンなど若手の研究者やハーバード大学やカリフォルニア大学など名門校の学生などが集められた。当時はコンピュータが実用化されていなかったために計算だけを任務として数学に優秀な高校生も集められた。
ロスアラモスの他にもシカゴ大学冶金研究所やカリフォルニア大学バークレー校など多くの施設がマンハッタン計画に参加し、アーサー・コンプトン、レオ・シラード、アーネスト・ローレンス、ジョン・ホイーラー、グレン・シーボーグなどが協力した。ウラニウムの分離施設と計画の司令部はテネシー州・オークリッジ (サイト X、後のオークリッジ国立研究所) に置かれ、プルトニウムの抽出はワシントン州・リッチランド郊外 (サイト W) で行われた。米国以外ではカナダのモントリオール大学が計画に参加している。この計画に対しては多額の資金(当時の価格で19億ドル)が投入された。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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